神幸祭レポート(藤田) 後編
2025/8/1
2025年の祇園祭神幸祭にて弓矢組の武者神役を務めさせていただきました藤田と申します。当日参加した武者側からの視点で、神幸祭を振り返りたいと思います。正直なところ、供奉中は自分のことだけで頭が一杯であり、中々回りを見る余裕がなかったのが実情です。色々と忘れていることも多いですが、お付き合いいただけますと幸いです。【前編 / 後編(ここ)】
※写真とキャプションは川上が挿入しています。
【神幸祭】
18時頃、気温は、雨が降ったおかげかかなり低めでした。3年ほど前から六原清々講社の一員として行列に供奉させていただいておりますが、一番の気温の低さだったと思います。神幸祭出発までには完全に雨も上がり、一同ほっと胸をなでおろしました。牛頭天王(ごずてんのう)様や素戔嗚(スサノオ)様をはじめとする神様が、久々に行列に復帰する弓矢組を助けてくださったのだと個人的には思っています。神幸道で行列が待機し、目玉となる鎧武者の大将は、八坂神社のガレージでお馬さんに乗ってからの合流でした。馬のおせちさんとともに晴れ晴れしく登場した山中秀起さんの大将姿に、周りからも驚きの声が上がっていました。本当にすごい迫力でした。

八坂神社のガレージ入口付近

2023年の様子。
今までは裃で参加していた藤田さん
出発してからのことは正直そんなに記憶に残っておらず、他の武者の方との間隔を維持してひたすら歩くだけでした。緊張していたこともあり、寺町専門店会商店街アーケードでの大休憩までは、あっという間に時間が過ぎ去っていきました。
ここまで来て、ようやく大将役の秀起さんも地上で休むことができました。鎧のチェックをすると、かなりの汗をかいておられました。他の武者とは違い、お馬さんの上で身動きが取れないことがかなりの消耗となるようでした。鎧の擦れによる痛みも一因かと思われます。他、大将は、薄衣(一番上に羽織る白い服)を着たり、飾り袖(着物の袖のようなもの)も昔の厚手の生地のものを修復・使用している関係で、鎧内部の空間環境が他の武者と全く異なっていたとも考えられます。この辺りは、また来年以降に対策が講じられればと思います。

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休憩中は、通行人の方や、行列の参加者の方々にお声がけいただき、いっぱい写真を撮りました。さながら遊園地のマスコット状態でした(笑)。ですが、本当にたくさんの方々に注目していただいてありがたい限りでした。
休憩後は三条河原町に出てから四条通へ向かいました。八坂神社を出発してすぐもそうでしたが、四条通沿いのお客さんの多さにはびっくりしました。一体、一日で何百万枚の写真の被写体になったんだろうと思います。こんなに写真を撮られることは、武者行列以外ではもう今後ないと思います。御旅所までは、スムーズにたどり着きました。ここで武者の役目は終了となります。

笑顔で記念撮影に応じる藤田さん

弓矢町の宣伝を欠かさない藤田さん
その後、紆余曲折を経て弓箭閣に戻りました。皆さんだいぶお疲れで、履いていた草鞋の裏側は全部ボロボロになっていました。後で確認しましたが、大将の鎧には一部損傷があり、やはり鎧を着て動くことは並大抵のことではないんだなと痛感した次第です。武者行列が中断した理由の一つに鎧の修繕費が捻出できないというものがあ ったそうですが、他の古い鎧でも似たような損傷がでていたら、確かにいくらお金があっても足りないだろうと思いました。鎧を脱いだ後は弓箭閣の2階でリラックスタイムでした。行列参加者の最後の仕事は、台車に乗せていた補給用のサンドイッチやおにぎりの箱を空にすることでした。軽食を取り、皆さん少し回復されたようでした。

河原町通
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御旅所前(動画からの切り出し)
草履を脱ぐのも一苦労
【総括】
ふり返ってみましたが、行列中は緊張していたこともあり、内容をほとんど覚えていません。ただ、鎧の着用に関することは鮮明に覚えているあたり、きちんと鎧を着て出発できるかどうかをずっと気にしていたようです(笑)。
今回、多くのメディアで復活する武者行列を取り上げていただき、はじめて弓矢町を知っていただいた方も大勢いらっしゃると思います。来年以降も、7月15日と16日の武具飾りと17日の神幸祭での武者行列は続きます。このレポートを見ていただいた方で、弓矢町にご興味を持っていただいた方は、ぜひぜひお越しいただけましたら幸いです。これからも弓矢町・弓矢組をよろしくお願いいたします。