神幸祭レポート(藤田) 前編
2025/8/1
2025年の祇園祭神幸祭にて弓矢組の武者神役を務めさせていただきました藤田と申します。当日参加した武者側からの視点で、神幸祭を振り返りたいと思います。正直なところ、供奉中は自分のことだけで頭が一杯であり、中々回りを見る余裕がなかったのが実情です。色々と忘れていることも多いですが、お付き合いいただけますと幸いです。【前編(ここ) / 後編】
※写真とキャプションは川上が挿入しています。
【出発まで】
当日は、16時に町会所の弓箭閣を出発する予定でした。14時頃に最後の確認ミーティングが行われました。その後、鎧を着るために一時帰宅。着替える場所を鎧1領だけでも別にしたのは、6月に行われたお披露目会(またの名を鎧着用練習会)で得られた教訓によるものです。お披露目会では武者全員が弓箭閣1階で鎧を着ましたが、大人5人が8畳ほどのスペースで鎧を着込むのは、さすがに狭く、無理がありました。今回の武者神役では、自分の「藤印」のみ、鎧の所有者と武者役が同じ家の人間だったため、弓箭閣で着替えなくても良かった次第です。51年前の行列では鎧を持つ(飾っている)各家に武者役がそれぞれ着替えに行くという伝説が弓矢町に残っていましたが、それは、鎧着用のために考え抜かれた、理にかなった工夫であることも分かりました。

13時頃の藤田家。強い雨が降っていました

お家の前で藤田パパと!
藤田パパも武者経験者の1人です
Youtubeと鎧の本であらかじめ予習と練習をしており、割とスムーズに鎧を装着していけましたが、それでも1時間弱かかりました。後で歩くことを考慮 し、ゆるんでいる箇所がないかのチェック等で、思った以上に時間を取られたのです。ともあれ、予定時間までには弓箭閣に到着。どうにか出立式に間に合いました。
【弓矢町出発】
弓箭閣での出立式では、多くの皆様にお集まりいただきました。かつての建松商店街の繁栄を知る方々が「あれほど多くの人でごった返した松原通を見るのは久しぶりだった」とおっしゃるほどの好評をいただきました。見に来ていただいた皆様にはこの場を借りて御礼申し上げます。出発時には、雨も小降りとなり、いよいよという感じで、武者役としても気が引き締まる思いでした。

お家から弓箭閣に出勤中

出立式の様子
その後、町内を巡り、高橋町内会会長の家で小休憩。兜を脱ぎ、烏帽子に着替えて再出発です。烏帽子については、大将の鎧を修復してくださった鎧師の明珍阿古さんに後で角度調整を施していただきました(笑)。そういえば、前に烏帽子の着用に関するレクチャーを明珍さんから受けていましたが、いざ出発するといっぱいいっぱいで、キーポイントをすっかり失念しておりました。来年以降は上手くかぶれるようにしたいと思います。
宮川筋では、清々講社宮川組の皆様をはじめ、色々なお店の方々も軒先に出てきてくださり応援をいただきました。鎧や裃(かみしも)、半纏(はんてん)を来た人間がぞろぞろと歩いていましたが、後で写真を見たところ、あまり違和感なく普通に見えました。こういった面々が自然と風景に溶け込めるのは、やはり京都花街の風情がなせる技だと思いました。舞妓さんも普通に行き来されていましたので、着物も鎧も、まだまだ京都では現役なんだと素直に感心しております。

弓矢町内での巡行の様子。
藤田家の前で折り返します。

清々講社 宮川組さんの前を通過。
拍手で送りだしてくれました。
